けれど空は青

   青井ぼくは春が嫌いだった。毎年この季節になると調子が狂うというか、よくないことが起きたから…… 天気は晴れ。どこまでも広がる青空の下、桜の花びらは舞い、鳥は気持ち良さそうに歌っている 絵に描いたような春の日の朝…

そんな日なのに、彼は少しも楽しい気分になれなかった。
ああ…こんな日はきっと何か起きる……そんな不吉な予兆を感じながら、いつもの通学路を歩いていた

これは、青井ぼく 十四歳の春の出来事


一.【ガラケー少女】
 青井ぼくはその日、はじめて空を飛んだ。ああ、鳥ってこんな気分やったんか…と思いながら彼は階段を転げ落ちていった。この何日かあまりよく眠れていなかったのと体調が悪かったことも重なり、廊下に倒れた彼は気を失って、そのまま保健室のベッドへと運ばれていった。
 くそ…やっぱりこうなった……そやから今日は学校休んだらよかったんや………
悪い予感ほどよく当たると、青井ぼくは夢のなかで後悔していた。
これやから春の日は嫌いなんや……春なんて………

「風が泣いているぜ」
「………?」
だ、誰や いまの、声……? その声ははっきりと聞こえ、青井ぼくは目を覚ました。
「う…うぅん……」
「あ、起きたん?」
「………」
そこに居たのは、制服を着た見知らぬ女の子だった。この学校の生徒…?
「…あ、あなたは…」
「俺の名前…?…わたし。桃野、わたし。」

それが夢なのか現実なのか…おぼつかない頭のまま、青井ぼくはその人を見ていた。
起き上がろうとしたら、背中と腰にズキッとした痛みがあり、体が動かせないことに気付いた
「痛たたっ!」
「無理せんほうがええよ きみ、階段から落ちたんやから」
「あ…あの…あなたがここまで運んでくれたんですか?」
「まさか。私はただの付き添いやで 先生と他の生徒が担いでったんや」
「へ、へぇ…」
「ところで、きみの名前は何て言うん?」
「えっ?あぁ… 僕は、青井ぼくって言います」
「ふぅん そんならぼくくんか。」
「……」
「どうしたん?まだ具合悪そうやね」
「あ、うん…それはそうなんやけど……」

── 僕ら、前にどこかで会ったかな?

いや、そんなわけないか。もしそうだったら覚えてるハズやし…
そういえばいま何時やろ?僕、倒れてどのくらい時間が経ったんや?
いまは…授業中? あぁ違う 今日は終業式で、明日から春休みやったよな?
え……それじゃこの人は、どうしてここに?
青井ぼくはハッと気付いて振り向いた
すると彼女は手に何かを持っていた。
「な、何しとるんや?桃野…さん?」
「ん?いまちょっと友達にメールしてたんやけど」
「メール…?」
桃野わたしが持っていたのはスマホでなく、昔のケータイ電話…通称ガラケーだった。
「いまどき珍しいな ガラケーなんて…」
「そう?私らの時代はみんなこれやったけどな」

私らの、時代? どういう意味やろ?
「ううん何でもない それより、ぼくくんもう目ぇ覚めたんならええよな?私先生呼びに行ってくるから、あとは家族に迎えにきてもらってな!」
「えっ?あの…待って 」
桃野わたしは引き留める間もなく、保健室を去っていった。
「………」
まぁ、ええか 転校生やと言ってたから、また明日……いや、春休みが明けたらまた会えるやろうし、そのときにちゃんとお礼言っとこう


二.【幽霊】 
  桜の花はすっかり散っていた。青井ぼくはこの二週間の春休み中はどこにも行けないでずっと寝込んでいたから、今年の春は桜も見なかった。 ところが彼は周りが心配するほど落ち込んではいなかった。確かに体中が痛むのは嫌だったけど、それよりもずっと気になることがあったから…

あの日出会った『桃野わたし』のことだ

春が嫌いな青井ぼくにとって、その出会いは鮮烈だった。
薄い桜いろの髪に白い肌… 桃野わたしはまるで、春という季節がそのままこの世に現れたような姿をしていたから、いまも強く印象に残っているんだろう
幸いなことに、この春休みの間に階段から落ちた怪我は治り、前と同じように歩けるようになっていた
それどころか、春休み前の元気のなかった彼とは見違えるように、いまは早く学校が始まらないかと待ちかねていたくらいだ。
そうして新学期が始まったが、青井ぼくはまた予期せぬ春の嵐に巻き込まれていく…

教室に着くと、辺りを見渡したが桃野わたしの姿はなかった。そういえば肝心なことを忘れていたなと、青井ぼくは思った。
「それはそうよな、転校生って言っても学年とクラスは聞いてへんし、同じクラスとは限らんか」
「はい静かにー!朝礼始めるぞー」
ちょうどそのとき、担任の先生が教室に来た
「あ、先生や。そや!先生なら何か知ってるかも…」

「おー青井、この前は災難やったな。もう怪我はええんか?」
「はい。それより先生、転校生のことなんですけど…」
「はぁ?転校生?」
「あの…桃野わたしって人、どの学年か知りませんか?」
「…いや?知らんな… というか、今学期に転校生は居ないハズやけどな?」
「えっ!?」
青井ぼくは自分の耳を疑った。いま先生は何て言った…?
「て、転校生は居らんのですか?」
「あぁ。朝からおかしなこと聞くな ほらみんな席に着け」

んなアホな…それじゃ、あのとき僕が出会ったのは誰やったんや!?
青井ぼくは何が何だか分からないまま、力無く席に座った。その日の彼はもう授業も耳に入らず、心ここにあらずだった。学校に行けばまた桃野わたしに会えるとばかり思っていたから

その日の放課後…
「何やそれ?幽霊みたいやな」
青井ぼくはこれまでのことを仲の良い友達に話した。
「幽霊やて!?」
「だっておかしいやろ!いまどきガラケーなんて持ってる奴居らんし、転校生だってなかったやん!」
「それはそうやけど…」
青井ぼくに霊感はなかった。いままでに一度も幽霊なんてものを見たことなかったから、友達のその返答には思わず声を上げた。
「そっか 幽霊か」
「あっお前 信じてないな?」
「…まぁな」
そのことには一理あった。桃野わたしが何者か説明しろと言われたらどう答えたらいいか分からなかったから…
だけど幽霊やったら合点がいくな。
「別に何でもええけど オレらも帰ろうぜ」
「あ、うん」
どっちにしろあのときのことはあまり人に話さないほうがいいな  僕だっておかしな話やと思ってるんやから……

もしいつか どこかで会えたら
春の日にそんな感傷に浸るなんてどうかしてると、青井ぼくは思った。
「そうやな 忘れてしまえばいいだけなんや」
 幽霊なんかに関わるのはご免や!
普段の青井ぼくならそうしたに違いない。
彼はこの小さな町が好きだったから
ジュースを買ったら当たりが出てもう一本もらえたとか、コンビニで並んでいたら前の人が順番を譲ってくれたとか、そんなささいなことで幸運を感じられたから、彼にとってこの町は好きなもので溢れていた。

ならそれ以上望むことなんてないんやないか?
平凡やけど楽しい暮らしやから、今度は幽霊の友達が欲しいって?
そんなんいらん!いまのままで充分幸せなんやから

それならどうして桃野わたしのことは忘れられない?

分からない…… 青井ぼくは小さく息を吐いた。

いつもの帰り道を歩いていた 
そのとき彼は既に、戻れない道へと踏み込んでいることに気づいていなかった。



三.【行方不明】 
  ──アンタ、まだこんなこと続けてるんか?
 真夜中、誰も居ない学校の教室でヒソヒソと話す二つの影があった。
── こんなこと? 私は何もしてないやん
── そんなん通じんで!いままで何人…したと思ってんねん
── シツレイだなぁ。私はただ迎えに行っただけやで
── あの少年はどうする気や?
── せやから私は何もしとらんよ。 まぁあの子の時間ももうじき……
── ××××××! もし××××に近づいたらアンタでも許さんで!
── そっか。やっぱり…… 好きにしたら? けど辛い思いするのは君やと思うけどな 
── ……………

朝になるとその影は消えていた

おかしなことなんて何もなかった。
結局、あれから一度も桃野わたしには会えないまま、季節は春から夏になろうとしていた。
「何もない日か…」
青井ぼくはその平凡な日々を送っていたが、学校で妙な噂が広まり出したのはその頃だった。

「何や知らんのか?図書室に女の子の幽霊が出るらしいで」
「………!」
休み時間、クラスの女子がおしゃべりしているのが聞こえて、青井ぼくは何故だかハッと胸騒ぎがした。
女の子の幽霊…?それってまさか!?
「わっ!!」
勢いよく立ち上がったため椅子を倒してしまい、ガタタッと大きな音がしてみんなの注目を浴びてしまった。
「青井?どうしたんや 幽霊でも見たような顔して」
「…あぁ いや、スマン 」
はは…その幽霊やらが桃野わたしやったらええのに、なんて……
「一体なにしてるんやろな、僕……」

転校生やと言われて出会ったあの日から、僕は桃野わたしが何者なのか、自分なりに考えていた。
不思議な人…変わった人…はたまた幽霊?
うーん……でも、どの言葉もピッタリ当てはまらない気がする。
僕はまだ、桃野わたしのこと何も知らないんやからな……
そうや 僕には何も分からへん。
そんなら、さてどうしたものか? もう桃野わたしのことは忘れるか、それともその幽霊の正体を確かめに行く…そのどちらかを選ぶしかないなら、僕は………

その日の放課後、青井ぼくは行方不明になる。彼がどこに行ったのか、そこで何が起きたのかは、誰も知らない。

──………
 
「えっ知らへん 何なんその話?」
「その女の子な 好きんなった人の前に現れるんやて」 
「うん…」
「そんで願い事を一つだけ叶えてくれるんや」
「へぇ!そんならええ幽霊やん」
「でもな お願い叶えてくれたらそん代わり、あの世に連れてかれるねんて」
「えぇ…何やそれ……」
「せやからその子と出会ったら、絶対願い事したらあかんよ」



四.【縁結び】

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